最源流が町田にある境川沿いの八福神を巡ります。境川は 2 級河川で都・県の管理する河川です。昔は洪水の多い暴れ川として有名でした。今でも町田市鶴間では調整池が造られ、藤沢手前には広大なスポーツ広場が造られています。川筋は古くから物資、交通、情報の要衝として利用されています。瀬谷は国道 246 号を挟んで河口の江ノ島までつながっています。川沿いの鎌倉古道は甲州、武州、奥州街道に通じています。町田で境川沿いの鎌倉古道に入るのが近道でした。八王子鑓水から相模原由木にかけてマユを運んだ絹の道でした。
絹の道は欧米に生糸を輸出するためマユを運んだ道です。明治末から大正時代、現金収入の無かった農家がこぞってマユの生産に励みました。河川敷や空き地には桑が植えられました。運ばれたマユは瀬谷で取引が行われました。取引を仲介するため瀬谷銀行が設立されました。当時、町田に支店が開設されました。現在の商工会議所になっています。瀬谷銀行は鎌倉銀行と合併して横浜銀行になっています。取引されたマユは相鉄線瀬谷駅の近くに在った工場で生糸になり横浜へ運ばれ輸出されました。
瀬谷には瀬谷銀行跡や上流の町田、相模原では見られない豪邸、ケヤキ並木、屋敷林、倉が見られ、神社、仏閣も多く、独特の雰囲気を醸し出している街です。庶民も講を使い取引に加わったと思われます。横浜線が開通してからは長津田に乾繭(カンケン)倉庫が造られています。
長年歩き回っていると、鷹匠の墓(妙光寺)が在り、江戸末期まで毎年、富士山を背景に鷹狩りが行われていた場所だと気付きました。まさか、境川の下流で鷹狩りが行われていたなんて思いもよりませんでした。考えてみれば、江戸から日帰りが出来る距離で鷹狩りが出来る所として瀬谷は絶好の場所です。相鉄瀬谷駅南口を出ると鷹見塚が在り、前をバイパスが通っています。雪をいただいた富士が雄大な姿を見せてくれます。境川迄の西側斜面には住宅が建ち並び、狩場だった面影を想像する事は出来ません。唯、富士山の美しいシルエットは変わりありません。家康が好きだった「一富士、二鷹、三茄子」がこんな近くだったとは驚きです。
八福神の最後、全通院勢至堂から眺める富士山は最高です。これで八福神をお詣りしました。今年も明るく、楽しい年にしましょう。元気に歩いて福をばらまき、明るい世のなかを作りましょう。
次会は 2 月 7 日(土)「サバ(左馬)神社巡り(子供の無病息災を願い)」です。昭和の初期まであった「七サバ巡り」を蘇らせました。お陰様で私は子供、孫も皆無事に育ちました。距離は長いけれど楽しいウォークです。皆さんと一緒に歩けるのはウレシイ事です。歩ける事は生きている喜びです。外で食べる食事のウマサは最高です。是非、お出でください。 村田淳郎