社団法人日本ウォーキング協会加盟団4

特定非営利活動法人町田ウォーキング協会

生きることは歩くこと、歩くことは生きること

723シオリ
 月めくり
   残り三枚
     秋深む
岩間幹夫(梅林同人)
 京王線多摩境は多摩丘陵に新しく出来た駅です。町田市の発展を象徴している様な場所です。マンションが林立し、新住民が出現し、町田市変革の口火になっています。近くには早実のグラウンド(王貞治記念球場)が在ります。尾根緑道に沿って道が造られています。

 今迄、秘境扱いされていた鑓水を訪ねます。下見の途中で柿をいただき、銀杏を拾いました。14,5年ほど前は、町田の近郊では何処でも見られた光景でした。のんびりとした穏やかな「里の秋」に触れるだけで嬉しくなります。御殿峠(国道16号)と柚木、町田市、多摩市に囲まれた、この辺り一帯が、かつて絹の輸出で栄えた鑓水商人の出身地です。通称「絹の道」の出発地でもあります。明治末から大正時代中頃まで、この辺りから町田一帯はマユの生産拠点になりました。現金収入を求め農家はこぞってカイコを飼いました。今でも桑の木が所々に残っています。マユは荷車で瀬谷(横浜市)に運ばれました。瀬谷でマユの取引が行われ、生糸業者に引き取られました。

 絹の道は鑓水から瀬谷の間を学識者が名付けたものです。横浜線の開通によって絹の道は使わられなくなりました。マユから生産された生糸は横浜から欧米に輸出され、”日本を代表する輸出品”になりました。当時、農家を支えた子種石、白蛇等を祀った神社が見られます。

 取引の行われた瀬谷は町田とは国道246号を挟んで境川(鎌倉古道)で繋がっています。取引の活発化を支えるために瀬谷銀行が作られました。町田にも支店が出来ました。瀬谷銀行は横浜銀行の前身です。瀬谷には屋敷林や蔵を持つ家があちこちに見られます。多分、講を利用してマユの取引に係わったのではないかと思われます。又、瀬谷では将軍の鷹狩が行われています。

 私は歴史家ではありません、唯のウォーカーです。でも歩いていると花々が「私を見て」と、大地からは先祖が「私を忘れるな」と呼び掛けて来ます。こんな声が聞き取れる様になったのは心にゆとりが持てる様になったからです。歩けば歩く程、自然の営(いとな)みの素晴らしさがわかります。こんな緑豊かな大地は、日本人の精神構造に多大な影響を与えています。だんだん話が面倒になって来ましたが、要は「歩け」は楽しんで歩きましょう、という事です。これからも元気で、笑顔で、楽しく歩きましょう。

 次会は10月20日(木)「大地の恵み」でサツマイモ掘りです。プロが作っているので、豊作に間違いなしです。我家では毎年、今年こそは100kg以上を目指し頑張るのですが、10kg足らずのみじめな状態です。マルチングしたので・・・・。プロは凄い。帰りのリュックは重たいです。「我物と思えば軽し傘の雪」ですね。是非、ご一緒に楽しみましょう。笑顔のあなたにお会い出来るのを楽しみにしております。
            村田淳郎
   人生

 いかに生きるか
 生きるべきか
 悔いの無い
 生きざまを
 模索する
 日々老いていく
 不安、誇り
 尊厳は保てるか
 寿命は神(天)
 のみぞ知る
 だから、唯
 明日に向かって
 祈り、歩くのみ
 
    村田淳郎

723 写真 渡瀬茂博さん

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