721シオリ
暑ささへ 弾く少女の 笑ひ声 山崎礼子(梅林同人)
いよいよ 9 月、秋の到来、涼しくなるといいのですが。予報ではまだ当分暑さは続きそうです。これから歩く成瀬尾根は大野さんに散歩コースとして 30 年程前に紹介されました。尾根の横浜側には住宅は建っていませんでした。尾根にも名前はついていませんでしたので、勝手に成瀬尾根と呼んでいました。それが正式名称になった様です。 私たちがホームグラウンドにしている多摩丘陵には雑草に覆われ忘れ去られたり、消えてしまった道が以前には在りましたが、エネルギー(薪・炭)変更(改革)で森へ入らなくなりました。会を立ち上げた当時は、忘れ去られた道がまだ残っていました。そんな道を見つけてコースに取り入れ、新しいコース作りに役立てました。コース作りはどんな道が見つかるか、楽しみでした。残念ながら今では開発によって、都筑の森はズーラシア、大山詣では新東名、森や多くの古道には多摩ニュータウン等々、消えてしまいました。 「車道を避けて、自然、歴史を訪ねて楽しんで歩く」をモットーにしている MWA にとっては、活動範囲は年々狭ばまっていますが頑張ります。こんなコース作りをしているのは多分、日本では唯一 MWA だけだと思います。 オランダでは、歩く時(ウォーキング大会)は道路から車を締め出して歩く人専用にしています。社会にゆとりと楽しさを感じます。参加者は無料で昼食が振舞われます。女性には花束が市長から手渡されます。見学者、応援者、参加者、皆がみんな笑顔です。日本のウォーキングに欠けているのは楽しむ事です。だから歌を歌ったりして少しでも楽しくしようと務めているのですが。 私がウォーキングを始めた動機は「死ぬまで元気でいたい」という単純な思いからです。昔読んだ木喰上人の生き方を参考にしました。徳を説いて全国を行脚し、80 歳になっても死なないので死に場所を求めて山へ分け入りました。他人に迷惑を掛けず、自分の意志で、自分の人生の幕を下ろす、人生を逆算して出した答えは、歩き続けることでした。だから歩いています。自分のために。退職を前にした、今から 30 年昔のことでした。 今でもその思いは変わりありません。大切なのは、唯歩く事、自分の意志で歩き続ける事です。強制や役目でもいいから「唯歩く事」が重要なのです。そんな思いで 85 歳になりました。いろんな人々との出会い、素晴らしい日々、損得勘定を抜きにして「唯歩く事」は 生きる事だと思います。これからも歩き続けます。ぜひ、皆さんも御一緒に歩きましょう。たとえ、杖をついても、歩みが遅くなっても、おいでください。 本日は、暑い中お出でいただいて有難うございました。疲れをとる最善の方法は明日も軽く歩く事です。その繰り返しで次会 9 月 22 日(木)「境川と水道みち」を歩きます。境川は暴れ川として恐れられた川です。先人たちの苦労の跡や現在も洪水対策を垣間見えます。水道みちは神奈川県の母なる川、相模川の水を横浜、横須賀に送水している導水管を埋設しているみちです。笑顔のあなたとお会いするのを楽しみにしております。 村田淳郎 ※木喰上人(もくじきしょうにん)…出家した後、米、野菜を食せず、木の実、山菜のみを食して修行すする僧の通称。
大 谷 翔 平 投 げ て 、 打 っ て 、 走 っ て 野 球 が 好 き な 野 球 に 愛 さ れ た 野 球 の 申 し 子 並 外 れ た 一 投 、 一 打 、 疾 走 に 驚 き 、 魅 せ ら れ 贔 屓 に な る 百 年 に 一 人 の 逸 材 人 間 離 れ し た 業 は 神 の 境 地 か 願 わ く は 人 間 ら し く 、 男 ら し く 恋 に 悩 み 苦 し む 若 者 を 演 じ て く れ よ 村 田 淳 郎
721 写真 渡瀬茂博さん
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