716_シオリ
見守ると 見守らるるとは 空澄みぬ 中里暁子(梅林同人)
多摩市は、大阪府の千里ニュータウンにならい、首都東京の衛星都市として造られました。職住近接のモデル都市構想で、国の肝煎りで始められました。多摩丘陵を掘り返して造成しコンクリートで形成された街です。その無機質な感じは親しめません。土の匂い、木の香りが無いせいでしょうか? 日本の最先端の建築家が造ったにしてはお粗末です。全市を掘り返した結果、東京では一番多くの遺跡や遺構が見つかりました。それまでは、団地建設で多摩丘陵を掘り起こした町田市が一番沢山出土していました。 縄文、弥生時代には多摩丘陵にも大勢の祖先が暮していたに違いありません。今でも、尾根緑道(戦車道路)を掘り返すと遺跡が見つかります。遺跡が見つかると持主(地主)に調査義務が生じます。調査が済む迄は建築許可が下りません。町田では、遺跡は地主泣かせの厄介者になっています。調査発掘は、大学に頼めば無料で引き受けてくれる様です。 多摩市が発足前には、踏み固められた古道が縦横に通じていました。長年、先祖の生活に密着し、生きて来た証(あかし)の古道は貴重な文化遺産です。無残に破壊されて残っていません。古道、遺跡は保存し、保護するゆとりを持ちたいものです。 表題の多摩丘陵「よこやまの道」は古代から江戸時代にかけて、鎌倉古道や西国と東国を結ぶ交通の要衝でした。万葉集で防人の妻が詠んだ「赤駒を 山野に放し 捕りかにて 多摩の横山 徒歩(かし)ゆか遣らむ」から名付けられています。団地建設で多摩丘陵を掘り返し、切り崩したので、古道は痕跡すら残っていません。 JWAから依頼を受けて「車道を避けて、自然や文化を訪ねながら、楽しんで歩ける道」として作りました。今では、全国から1,000人ものウォーカーが歩きに来るコースになっています。コロナで活動を休止している間にも、大勢のウォーカーが歩いています。ネーミングが良いのか? ウォーカーの教養の高さか? コースが良いのか? 何れにしても有難いものです。 次会6月2日(木)は「防人の道たまの横山②」を歩きます。多摩市の残りの外周を歩きます。何時もの様に、車道を避けて道は作ってあります。多少の登り下りがありますが、安心して歩ける道になっています。是非、お出でください。笑顔のあなたにお会い出来るのを楽しみにしております。 役員の退会で活動(例会実施)が危ぶまれたのですが、献身的な役員のお陰で5回目を無事終る事が出来ました。次会には2019年度の完歩表彰が行える余裕が出来ましたので実施します。お楽しみにしてお出でください。 何時でも、会の活動を手助けいただける方を探しています。無理なく、気楽にご協力をお願いします。 村田淳郎
あるく 一歩、一歩 歩き続けて ここまで来た どこへ行くのか どこまで 行くのか 見はてぬ 夢を追い求め 命の炎の つきるまで 村田淳郎