西平畑公園
出会いより
別れの多し
花の頃
藤富美子(梅林同人)
春一番が吹き、一段と春が近づいて来ました。満開の河津桜を楽しみ、栢山(かやま)に生家が在る二宮金次郎ゆかりの尊徳堤を歩きます。刻苦勉励の象徴として、戦前、各小学校に石像が在りました。時代の推移と共に忘れ去られた存在になっています。私も花見で松田に来る迄は、尊徳の事は気に掛けていませんでしたし、関心もありませんでした。
新しいコース作りの楽しみは、知らない事に出会う事です。酒匂川や尊徳について興味を持ち、資料を調べたり、二宮尊徳記念館に足を運んだりして来ました。尊徳は天明7年(1787年)栢山生れ、酒匂川の氾濫と病床の父を抱え、幼い頃から貧困に苦しみ、薪を採ったり、縄を綯(な)って家業を助けていました。しかし、16歳で両親を亡くして、弟二人と離別し、隣の伯父の家へ引き取られました。それからの金次郎は日夜、勤労と勉学に努めました。酒匂川の氾濫で水没し砂地となった七反の荒廃田を復旧して20歳で独立し、24歳で1町5反、25歳で4町余りの豪農になりました。その功績を買われて、小田原藩家老服部家を再建して名声を得ました。幕末から明治維新にかけて、財政難に喘ぐ多くの藩の財政立て直しに尽力しました。尊徳に学んだ1,400人以上の人々が教育や各界で活躍し、日本の礎を作っています。
そんな二宮尊徳が堤防強化のため植えたと伝えられている1,000本の松並木(尊徳堤)を歩きます。先日、下見の折に、3人一組で松の直径、枝ぶり、生育状態を一本ずつ調べている役所の人に出会いました。多分、松一本ずつの戸籍があるのでしょう。長年、手を掛けて生育を見守る人々が居るから、松は立派な大木になって行くのでしょう。
江戸時代までは、箱根は難所で、通行出来ませんでした。足柄峠越えが一般的でした。そんな交通の要衝が松田です。御殿場線の始発になっています。日本武尊が東征の時、立ち寄り、休憩し腰を掛けたと伝えられている石が在るのが寒田神社です。延喜式内社です。こんな古い神社は町田には在りません。
松田町は里山に植林して、名物(観光地)を作り出しています。1月から2月に掛けて宿(やどりぎ)のロウバイ、2月から3月には西平畑公園の河津桜と我々を魅了します。山里に生きる人々の智恵には感服します。それにしても花見に来た人から桜祭り協力金(200円)を徴収するとは‥‥。帰りに立ち寄る中澤酒造で甘酒を御馳走になります。
次会3月4日(水)「梅と鶯の里、川崎」です。17㎞と距離は長いのですが、非常に変化に富んでいて楽しいコースです。川崎にもこんな静かな里山が在るのを御存知ですか? MWA自慢のコースです。是非、お出で下さい。
本日は、西平畑公園の登りがチョッピリきつい登りでしたが、河津桜は満開で奇麗でしたね。次会は川崎の春を満喫します。笑顔のあなたにお会い出来るのを楽しみにお待ちしております。気を付けてお帰り下さい。
村田淳郎
桜
桜 は 咲 き
咲 き 乱 れ
散 る
こ の 見 事 な
一 コ マ に
人 は 酔 い
感 動 す る
桜 は
神 、 宿 る
木 か
村 田 淳 郎
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