天も地も
風も染めゐる
曼殊沙華
小林草山(梅林主宰)
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、このところ朝晩は涼しくなりました。彼岸花も咲いています。15号台風の影響か、栗は不作の様です。
9月の例会は、雨続きで参加者も少なく、寂しい思いをしております。雨でも負けずに歩けば、必ず、健康というご褒美がもらえます。ただ歩くだけで元気と健康になります。
相模原は水の無い荒地でした。相模川、境川、鳩川、姥川‥‥に沿って人が住み、村が作られました。開拓には、まず、人が暮すための水を確保しなければなりません。そのため、井戸が掘られました。井戸は30m以上掘らなければ、水は出ませんでした。人手と日数を掛けて掘り続けなければ水は出ませんでした。その間の費用は膨大なものになります。身代を投げ出す覚悟が必要です。だから、代々小山の名主を務め、農業・醸造業・質屋を営んでいた資産家の原清兵衛が開拓を請け負いました。入植者は10年間で49名で、水が無いので作付けは、そば、粟、ひえ、が主で、大麦、小麦、陸稲がわずかばかりでした。主食は粟でした。
他に上矢部新田、淵野辺新田、下溝新田、谷口新田、中村新田、篠原新田、中和田新田と開拓が行われました。そんな先人の努力の上に今日の相模原が在ります。広大な畑を見る毎に、そこがかつてはススキの茂った荒地だったと想像出来ますか。水が無かったので、水田は川の近くにしか在りません。何処でも水が送れる現在では考えられない世界です。政令指定都市相模原は、これからまだまだ発展し続けます。なにせ、広大な土地と水(相模川)が控えています。相原高校は移転し、リニア新幹線の駅が工事に入っています。
星桜の自生地として保護されている片所谷戸が周りを宅地に囲まれ、かろうじて残っています。まさか、こんな不便な所がと思っていたのに、あっという間に能ヶ谷、図師‥‥と新しい街が出現しました。昭和34年から町田の変貌を見続け、ぼやいているだけです。何も出来ないもどかしさは悲しい限りです。せめて公益社団法人日本ナショナル・トラスト協会に加盟し、声援を送り続けるだけです。
次会10月6日(日)「お七稲荷とぽっくり寺」を訪ねます。台風15号で山道は倒木、竹、雑草に占領されています。これから退治しなければなりません。肉体労働が待っています。年々、肉体労働はこたえます。何時でもお手伝いいただける方を探しています。ご一緒に気持ちの良い汗をかきませんか。
ぽっくり寺は、先般亡くなった佐藤淳(MWA会計)さんの菩提寺福泉寺はぽっくり寺として有名です。信仰通りポックリとあっけなく逝ってしまいました。そんな佐藤さんが最後に入所していた老人ホームに立ち寄り、施設を見学したいと思っています。明日、入所する(させられる)かもしれません。実情を知らなければ不安です。
本日は、普段、滅多に歩かない片所谷戸と天縛皇(テンバクコウ)神社にお参りしました。お疲れ様でした。次会も笑顔のあなたにお会いするのを楽しみにしております。気を付けてお帰り下さい。
村田淳郎
お元気ですか
秋彼岸
賀状、暑中見舞いも無く
風の便りも途絶え
安否気になる
あの懐かしい眼差し
暖かな笑顔
弾む声色
今も眩しい
いとしい君よ
健在なりや
何時も気掛かり
村田淳郎
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